その手法の終わりが招く混沌
シンガポールのゲイランはアジアの景気を予測するには、格好のフィールドだ。
フリーランスじみた管理○春がほぼ終わった。ほぼシテ的な経済沸騰は来ないとみた。
公衆衛生的理由などと諸説あるが、投機的ビルディングの建設ラッシュはここ30年はないだろう。バングラから来ていた馬車馬のように働いていた労働者の群れも去った。
フィリピンの家政婦連中もいなくなった。インドネシア人に変わってしまったからだ。しかし、もっと変化が大きくのは、ゲイランのスーパーにシンガポール人が引ききっりなく来ていることだ。
つまり、シンガポール人が家事を始めたのだ。メイドを雇う文化が崩れ始めている。
客家系文化が変化してきた。
余裕の減少とみるか、志向の変化とみるかが、大事なポイントだ。
そして、これからが重要な情報だが、ゲイランの店ではアメックスとVISAを排除する何かが働き始めたのだ。
NETSというまるで、アリペイみたいな囲い込みだ。深センのようになるまで、そう遠くないだろう。客家系経済圏を捉えなければ、今後、日本の勝ち目はないだろう。
ある地域に目をつけ、モンキービジネスで人を集め賑わいが出来てきた頃、コンクリビジネスを仕掛ける。二足三文の土地が沸騰する。この商品価値の高め方が出来るのは限られている。
30年から50年のサイクルで、コンクリが朽ちて来たら、また次世代の誰かが、そこの草を刈る。これを家族でやられたらたまったもんじゃない。AIもビックリだ。
ただし、情報がなかった時代のアルゴリズムだ。ふたたび、このルーチンを成立させるためには、情報統制しかない。
客家系経済圏の囲い込みに合致する。